au Design project

2019.03.14

【エッセイ】ツナガリすぎないゼイタク。

スマホ・SNS依存からの脱却

「スマホ依存」や「SNS依存」という言葉をよく聞くようになったのは2012年~13年頃からだろうか。あの頃、私もSNS中毒の真っ只中だった。そう自覚していたというより、周りからそう言われていたし、そういう目で見られていた。iPhone 3GSを2009年のいつぞやに手に入れ、ほどなくTwitterを始めたようで、Twitterアプリに表示されている利用開始年月は2010年1月だ。

私はそれまでの人生で体験したことのない数の人たちと繋がった。自分と趣味嗜好・思想を同じくする人がこんなにもたくさんいて、そうした人たちと緩やかに繋がっている世界はユートピアに思えた。私は「繋がる贅沢」を謳歌し、のべつ幕無しつぶやいていた(らしい)。

当時のTwitterは今のような様々な闇を抱えておらず、理想郷的・互助的空間という側面のほうが際立っていた。東日本大震災の時のTwitter体験が、Twitterのポジティブな側面を裏打ちし、自分の日々のつぶやき行為を肯定した。ほどなくFacebookやInstagramも利用し始め、日々、SNS三昧だった。ただいつの頃からか、一体何のためにこんなことを続けているのだろうかと疑念を抱くようになる。

はじめは、誰かの役に立ちそうな情報をそのまま自分の元に留めておくのももったいないと思い、シェアすることで人の役に立てたらといった気持ちで始めたはずだった。それがいつのまにやら「いいね!」のために投稿し「いいね!」が気になって仕方がない自分がいた。インスタの投稿も、自分のための写真日記のつもりではじめたはずだった。それが「♡」をもらううちに目的が反転し、インスタのために写真を撮っている自分がいた。

友人・知人だけでなく会ったこともないたくさんの人たちからもいとも簡単に「褒めてもらえる」人類史上初の魅惑的な仕組みにまんまとハマり、SNSを使う目的が知らずのうちに「承認欲求」を満たすことにすり替わっていた。やがて私は「繋がる贅沢」に疲れ果て、何か大切なことを失ってしまっていることに気づき、SNSから少し距離を置くようになった。

シンケータイ

INFOBAR xvのコンセプトフレーズ「ツナガリすぎないゼイタク。」は、もともとコンセプトモデルとして試作し2017年に発表した「SHINKTAI(シンケータイ)」のものだった。当時「シンケータイ」のリーフレットに掲載した解説を引用したい。

繋がりすぎない贅沢

スマートフォンは抗しがたい魅力を持つデバイスです。「暇」「退屈」「すきま時間」「寂しい時間」「無気力な時間」を満たしてくれます。リアルな世界では考えられない数の友だちやフォロワーと繋がり、たくさんの「いいね!」が承認欲求を満たしてくれます。街角に佇みながらちょっとした仕事もこなせます。

そして気づけばスマホ漬けの毎日、スマホ中毒です。時間を埋めすぎ、人と繋がりすぎると、心の静けさも創造性も失われてしまうことに気づきます。人は「ほどよさ」を保つことは苦手で、とかく過剰に陥りやすいものです。しかし、もはや生活インフラと化しているスマホをやめるのはあまり現実的な解ではありません。

繋がりすぎず、離れすぎないこと。「シンケータイ」はスマホ・SNSと「ほどよい距離」を置くためのデバイスとして構想されたコンセプトです。搭載機能はSNS切断機能(=SNS非搭載)、本当に大切な人しか登録できないアドレス帳、シェアできない27枚撮りカメラなど。たまにはスマホを休んで、「シンケータイ」を手に繋がりすぎない贅沢を味わってみませんか。

SHINKTAI(シンケータイ)

SHINKTAI(シンケータイ)

3年前の2016年、「シンケータイ」の企画のために、いわゆる「ゆとり世代」「さとり世代」と呼ばれる世代の若者たちの「スマホ・SNS疲れ」に関する調査を実施した。

「スマホ漬けの自分に自己嫌悪に陥ります。」「週末にはSNSアプリを削除しています。」「プロフィール写真に"デジタルデトックス中"と表示して連絡が来ないように予防線を張っています。」

この調査で、スマホ・SNSとの「ほど良い距離感」に悩み、探るデジタルネイティブ世代の姿が浮き彫りになった。

この頃、SNS疲れからアカウントを休止したり削除する国内外著名人のニュースもよく耳にするようになっていた。そして、例えば「星のや」がデジタルデトックスのための「脱デジタル滞在」プログラムを提供するなど、デジタルデトックスに対する関心も高まっていた。

IT業界におけるスマホ・SNSを巡る狂騒の裏で静かに流れるこうした小川のせせらぎに耳を傾けることで生まれたのが「シンケータイ」だった。「繋がりすぎない贅沢」というコンセプトは「INFOBAR」のデザイナー、深澤直人氏の手によりころんと可愛らしいかたちとなった。

先駆者「Punkt.」

「シンケータイ」発表後、なにもスマホ・SNS依存から脱却するために、スマホとは別のハードウェアを持つ必要は無いのではといった意見も頂戴した。最近では、AppleはiOS 12から「スクリーンタイム」、GoogleはAndroid 9.0 Pieから「Digital Wellbeing」とスマホ依存を防ぐための機能を搭載するようになった。

もちろん、そうした機能を活用して、スマホとの「ほどよい距離」を保つことができればそれはそれでいい。ただやはり、近くにスマホがあればついつい手が伸びてしまうのが人の性だ。一方、スマホを持たずネット環境から完全に遮断されたデジタルデトックス状態で日々過ごすことも考えにくい。

「シンケータイ」は、「繋がりすぎる弊害」と「繋がらない不安」の間に立つこと、「繋がりすぎない」「ほどよい」ことをコンセプトとした。これと似た思想を持つプロダクトを世に送り出した先駆的存在が、スイスのメーカー「Punkt.(プンクト)」だ。通話とSMSしかできないシンプルな携帯電話「MP01」を彼らが発売したのは2015年。

極めてシンプルな機能性で、価格は日本円にして約3万円。ミニマルデザインの旗手として知られ、深澤直人氏との交流も深いプロダクトデザイナー、ジャスパー・モリソン氏がデザインを手がけている。

Punkt. MP01

Punkt. MP01

当時「MP01」のウェブサイトで「Distracted? Focus.」というキャッチコピーを見つけのだが、一体なんのことを言っているのか正直ピンとこなかった。「Distraction(ディストラクション)」とは「注意散漫」の意である。そして「Digital distraction(デジタルディストラクション)」は「デジタル機器がもたらす注意散漫」の意だ。

欧米のメディアでよくこの言葉を見かけるにつれ、欧米の方がデジタルテクノロジーとの最適なバランスを求めようとする意識、「デジタルウェルビーイング(健全なデジタル生活)」に対する意識が進んでいることを感じた。先のキャッチコピーは「注意散漫になっていませんか?(スマホをMP01に切り替えて)集中しましょう。」ということだ。中毒真っ只中だった私にはしっくり入ってこなかったこの言葉だが、今ではとてもよくわかる。

マインドフルネス/ZEN

「シンケータイ」の企画を進める中で、Googleを始めとする米国西海岸のテック企業の間で「マインドフルネス」が流行していることを知った。「マインドフルネス」は、禅の「瞑想」から宗教色を取り払った実践プログラムだ。それはちょうど「ヨガ」が宗教的修行から今やすっかり宗教色の消えたエクササイズとして定着していることに似ている。

デジタルカルチャーに関心の高い人なら、西海岸で「禅」「瞑想」といえば、スティーブ・ジョブズのことを思い起こすだろう。アメリカに「禅」が広まったのは、仏教哲学者・鈴木大拙(すずき だいせつ、1870-1966)、そして曹洞宗の僧侶・鈴木俊隆(すずき しゅんりゅう、1905-1971)の「2人の鈴木」の功績によるものだ。

アメリカに渡った「禅」は、1950年代におけるアメリカのカウンターカルチャー「ビート・ジェネレーション(ビートニク)」に大きな影響を与え、60年代後半の「ヒッピー」へと受け継がれていく。スティーブ・ジョブズもその一人だ。ジョブズは曹洞宗の僧侶・乙川弘文(おとがわ こうぶん、1938-2002)に師事し、NeXT社の宗教指導者に招くなどしている。

アメリカのカウンターカルチャーに大きな影響を与えた「禅」改め「ZEN」の精神は、シリコンバレー発「マインドフルネス」として、日本に逆輸入されることとなる。日本では2016年にNHKが『NHKスペシャル「キラーストレス」』の中で「マインドフルネス」を取り上げ、その効能の科学的な根拠を特集したことも「マインドフルネス」に対する関心拡大に一役買った。

人はストレスを受け続けるとストレスホルモンであるコルチゾールが脳に溢れ、記憶を司り、感情にも関係する器官「海馬」が萎縮してしまう。それが「マインドフルネス」のプログラムを8週間毎日20分行ったところ、「海馬」の灰白質の大きさが5%大きくなったことがハーバード大学の研究によって明らかとなった。さらに扁桃体の一部が5パーセント減少し、ストレスへの過敏な反応が抑えられることが期待できるという研究結果が出ている。

ではその「マインドフルネス」とは具体的に何をするのか? 実践方法はいたってシンプルだ。

1. 体の力を抜き 背筋を伸ばして座る

2. 体と呼吸に意識を向け、その様子を感じる

3. 浮かんできた雑念は考えない

4. 今の瞬間の体や呼吸の感覚に意識を戻す

5. 毎日10分程度から始める

(引用元:『NHKスペシャル「キラーストレス」第2回』)


「マインドフルネス」は、私たちにストレスを与える元になっている過去の記憶や未来の想像を一旦停止し、「今ここ」「今の瞬間」に気づきを向けることであり、その実践方法である。私も自己流で試してみたところ「なるほどこういうことか!」とその効果を実感した。五感が冴えわたっていく感覚がとても新鮮だった。その感覚は、何か創作活動に没頭している時の感覚にもどこか類似しているように思えた。

こんなに簡単に実践できることなのに、生まれてこの方このような方法で「今この瞬間」に意識を向けるということなどしたことがなかった。これは随分もったいないことをしたものだ。これまで生きてきた時間の大半は、目の前のことを考えず、常に過去と未来の雑念でいっぱいの状態、いわゆる「マインドワンダリング(心の迷走)」の状態だったわけだ。

「マインドフルネス」は通勤・通学中、散歩中、入浴中などその気になればどこでも実践できる。通勤電車の中で暇つぶしにスマホをいじるくらいなら「マインドフルネス」を実践することをお勧めしたい。

INFOBAR xvではじめる「ツナガリすぎないゼイタク。」

「繋がらない不安」と「繋がりすぎる弊害」の間を埋める「繋がりすぎない贅沢」をコンセプトの一つとして誕生したINFOBAR xv。例えば、通勤電車の中。ポケットにはINFOBAR xv、スマートフォンはカバンの奥にしまって、マインドフルネスを実践してみる、あるいは文庫本の紙の手触りを感じながら豊かな読書時間を味わってみる。そんなところから「ツナガリすぎないゼイタク。」をスタートしてみてはいかがだろう。きっと昨日までとは違う「マインドフル」な心地いい時間が流れ始めるだろう。

もしあなたがSNSに疲れているなら、お勧めしたいのが「ともだち」断捨離。SNS上のたくさんの友だちの中から、自分にとって本当に大切な人は誰かを見つめ直し整理して、その人だけをINFOBAR xvの電話帳に入れてみる。自分なりの大切な人の定義を決めて仕分けしよう。

例えば緊急連絡を絶対に取り逃したくない相手かどうかでもいいし、こんまり流に「ときめき」を感じるか否かでもいい。ストレスに繋がるような相手は間違っても残さないようにしたい。私の場合、結局残ったのは10人くらいだった。こうしてINFOBAR xvを胸ポケットに、スマホはカバンに入れておくと、SNSの喧騒から距離を置くことができるようになる。

週末はスマホを置いて、INFOBAR xvとフィルムカメラ、あるいはインスタントカメラを持って出かけてみる。「シェア」すること「映え」ることを忘れて、ファインダーの先にあるかけがえのない世界に対峙し「今この瞬間」に意識を集中しシャッターを切る。

今、デジタルネイティブな若者たちの間でフィルムカメラが流行しているという。「写ルンです」や「チェキ」の人気も衰えていない。レンズは2眼、3眼、4眼・・・と増え続け、被写界深度も自在に操ることができ、目で見る世界を超えたスーパーリアルな夜景だって取れる恐ろしいほどに進化したスマホのカメラ。

一方で、フィルムを買わないことには始まらず、撮影枚数も限られ、撮ってすぐには確認することもできず、写真屋に出してようやく写真として仕上がるというとてもまどろっこしい一連の体験に、若者たちはスマホカメラとは別の価値を見出している。フィルムカメラで、かけがいのない今この瞬間、この世界と対峙する。それはどこか「禅」の精神にも通じるものがあるように思う。

「INFOBAR xv」プレミアムイベント at 北鎌倉・建長寺

「INFOBAR xv」プレミアムイベント at 北鎌倉・建長寺

この3月20日、『「INFOBAR xv」プレミアムイベント at 北鎌倉・建長寺 〜禅寺で味わう「ツナガリすぎないゼイタク。」1日体験〜』という体験プログラムを実施する。

建長寺は鎌倉時代の建長5年(1253年)に執権北条時頼により創建された鎌倉五山第一位で、南宋の禅僧、蘭渓道隆(らんけい どうりゅう)により開山した禅宗寺院である。ちなみに「建長(けんちん)汁」は建長寺発祥である。

マインドフルネスの源流とも言える場所で、参加者には、スマートフォンを預け(ただしINFOBAR xvは携帯可)、坐禅体験や茶道体験などを通じて、日本文化に昔からあったマインドフルな心の使い方に触れる。お昼には精進料理をいただき、さらにライカのインスタントカメラを手に境内を散策しながら「今」と向き合うワークショップも行う予定だ。すこしの遊び心として、茶道体験のお菓子にINFOBARの象徴色「錦鯉」柄の羊羹を「とらや」さんに特別に作っていただいた。

このプログラムが、参加者にとって「デジタルウェルビーイング」を日々実践するきっかけになると嬉しい。残念ながら募集はすでに締め切っているが、もし好評であれば、au Design projectとしてこうした活動も積極的に継続していきたいと思う。

au Design project 砂原 哲